Ai将棋とAIハリーポッターの衝撃(の違い)

面白い記事があった。

http://cruel.hatenablog.com/entry/2018/01/09/180230

AIにハリポタ全巻喰わせて、新作を生成させた


こいつを見て、あまりに感動してしまいました。この支離滅裂、異常な構想力、唐突な破綻ぶり。(略)人工知能には創造性がないとかいっている連中がいるけれど、これでも、あるいはアルファゼロの囲碁でもそうだけれど、むしろ人工知能が明らかにしているのは、ぼくたち人間の知能や創造性と称するものがいかに制約されていて、型にはまっているかということだと思う。



この辺まで読むと、将棋ソフトやアルファゼロを思い浮かべますよね。

で、実際の文章を読んでみてどうおもうか?是非読んでみてください。一文だけ引用しますと以下のような感じです。

城の地面は魔法で拡大された風の波でせせら笑いました。外の空は黒い天井で、血で満ちています。ハグリッドの小屋から漂う唯一の音は、かれ自身の家具による侮蔑に満ちた軋り音だけでした。魔法:それはハリー・ポッターがとてもよいと思った何かだったのです。 ハリーの幽霊が城に向かう地面を歩くと、皮のような驟雨が打ちつけます。ロンがそこに立って、何か狂乱するようなタップダンスをしていました。かれはハリーを見ると、即座にハーマイオニーの家族を食べ始めました。 ロンのロンシャツはロン自身に負けないほどひどいものでした。 「あなたたちふたりが楽しくちゃかぽこできないなら、あたしは攻撃的になりますからね」と理性的なハーマイオニーは告白しました。



文法的には100%正しいのに、なんとも不思議な文章にみえませんか?一言でいえば、文法的に正しいからこそ、文章の内容の狂気がより一層強調されているように思われます。

ソフトの指す将棋にも似たような味があります。将棋のルールとしては正しいものの、その指し回しは人間からみると異質なものを感じるわけです。ただ、将棋と文学の間に大きな違いがあります。それは将棋には勝ち負けがある、ということです。文学における勝ち負けというのは、何とか賞受賞とか販売冊数◯万部突破!とかありますがそれらは絶対的なものではありません。

将棋には良い将棋、面白い将棋、不出来な将棋…色々ありますが絶対的に勝敗の決着がつく、というのが文学とは大きく違う所です。文学は誰かがそれを読んでどう感じるか?が重要であり、将棋はその過程を楽しむものではあるものの勝負の決着が最も重要な部分です。

AI小説が主流になる時代はなかなか難しい気はします。人間にとってもっと物語らしい物語、文章らしい文章、脈絡のある話が人間の脳みその仕組み上好まれるだろうと思うからです。ただ、それ故に将棋など勝負事においては人間の直感に反したソフト感覚が、特にその実力が人間を上回っている現状では、勝敗だけを考えればそちらこそが正であるというふうに考えることができるかもしれません。

どのように身につけるのかという問題はあることはあるのですが。




そういうわけで…と言い切っていいのかわかりませんが、何かしらの過渡期にある現在、プロ棋戦の戦型を見ているとかなり滅茶苦茶のバラバラですね。とても目まぐるしく流行が移り変わっています。ある戦型の定跡が徐々に変わっていくというよりは、ある戦型から次の戦型へという感じ。一手一生から一手一勝になり、一手で戦型が移行する時代になったというか。それぞれがMY定跡・MY作戦発表会になっていて、その作戦的な拡散もあり相対的に振り飛車固定の面々の活躍が増える可能性もあるのかな?と思っています。

あとは相掛かり党の復活、でしょうか。代表例が野月浩貴プロですね。一時期その相掛かり&85飛車を主作戦にしてB1に在籍していましたが、最近も好調を維持しているのは拡散しつつも居飛車の作戦が相掛かり系の展開に寄っているので過去貯まった経験値が使えてるのではないでしょうか。

そんなかんじで。。
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