千田さんの対談記事が面白い。序盤におけるコンピュータ将棋とプロ棋士のつくりの違い その3

こちら。
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<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">この対談、滅茶苦茶面白いから無料だし読んだ方がいいと思う。 <a href="https://t.co/r6fe9Mz6jp">https://t.co/r6fe9Mz6jp</a></p>&mdash; 将棋観戦 (@shogiwatch) <a href="https://twitter.com/shogiwatch/status/724532763571838976">2016年4月25日</a></blockquote><script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>


個人的には、以前書いたようにコンピューターソフトが指す将棋からの学び方というか、学べる範囲というかは難しいのでは?という意見でした。


「序盤におけるコンピュータ将棋とプロ棋士のつくりの違い」(http://blog.shogiwatch.com/blog-entry-3476.html)


ただ、上記の対談を読むと、流石に頭良くて将棋が強い人は違うなーと思いました。


私レベルでもそれは確かに有効かもしれない・・・と思ったのは「強いソフトの形勢判断において点差が開いていく局面の開くタイミングをみて、どこがどうだったのか言語化する」というもの。


具体例として、森内さんと阿部光瑠さんの将棋をあげていて、コンピューター将棋によって少し認識が変わった飛車先の交換(この場合は先手が行った)と相居飛車におけるコンパクトな左美濃(同じく後手が行った)の局面があげられています。


陣立ての時点ですでに後手が良かった。そしてどのぐらい良いかといえば100-150点ぐらい後手が良くなっている。初期値のことを考えると既に先手の森内さんは先手の利を失っている・・・という感じです。


そして実際に戦いが始まってみると、後手が500点ぐらい良くなっていきます。


その点数の経過をみて、千田さんはどこがどうだったのか、人間として理解のし易い形に咀嚼して言語化して局面に対する認識の精度をあげていく試み(本人いわく勉強)をしています。


この取組をみて私が思ったのは、株やFXなどのシステムトレーディングにおけるバックテストみたいだなということです。バックテストの弱点は常に過去を正としてのパラメータ調整なので、本当に未来に適応していいのか、究極的にはファットテールリスクの取り扱いをどうするのか?という部分で難しさを抱えている(リスクマネジメントが必要になる)。


ただし将棋の場合はそういうリスクがないので、その点ではかなり有効な気もしました。ただ、千田さん本人も対談のなかで認識されていましたが(そして私が難しいのではと思う理由でもあるのですが)、そのコンピュータの形勢判断の先にある部分が、コンピュータの処理能力という土台の上にあるものである可能性はやはりあります。(千田さんが憧れるナインデーフィーバーの自玉周辺のギリギリの見切り、などはその代表的なものではないでしょうか)。


しかし、その局面自体がプロ棋士というか人間にとって扱える展開なのかどうか?というのは人間の茫洋な局面における大局観みたいなものがある程度は効くところでもあるので、勉強するという意味ではどこまで有効かはわかりませんが、全く意味がないとは思えません。この辺、対談のなかで、千田さんいわく、「糸谷さんはある程度限界があるのではないかと言っている」と触れています。


面白いなと思ったのは、Ponanzaが最近は広さと隙の無さを好むというか評価できるということです。これは故米長邦雄先生が、ボンクラーズと戦った時に新米長玉を用いた頃のコンピュータソフトとは大きく異なる点ではないでしょうか。あの戦いの中で、米長先生は普通の戦型ではもはや勝ち目がない(勝率がよくない)と考え、それであればコンピュータが判断できない戦い方をしようと広さで対抗しました。


この辺りに勝ち目があると思っていた部分が、すでに2016年時点では人間が言語化できないところをコンピュータ将棋はなんらかの方法で数値化できているところに私は注目しました。そしてこの部分こそが、人間が学習したくてももしかすると学習できないところではないか、という気がします。人間が大局観や経験で補っていた数値化できずに感性などで表現されていた部分。


囲碁の大橋プロが、ALPHAGOの囲碁をみて、人間が更に進化できるかもしれない…と(確か)言っていましたが、この部分(対談でいえば、金井千田戦の玉の位置の評価)こそが人間が学べない領域のようにも思えます。


ナインデーフィーバーが得意とする中段玉を人間が理解できないのは、人間の紡ぎだした定跡というフォーマットを外れて、更に終盤の後に現れる局面だから、という説明がありますが、これって一昔前のコンピュータ将棋の弱点だったはずです。この辺のやりとりを読んでいて、最近フォローしていなかった私は軽い衝撃を受けました。


意味付けしないと理解できない人間が故に定跡や囲いを用いるのと、力技で広く読めるコンピュータが囲いかなんなのか分からない玉形を用いたり、人間がいうところの力戦で圧倒的に力戦の雄であるところの山崎隆之プロをなぎ倒してしまうという現象。
この対談を読んで、人間がコンピュータ同士の対局からプロ棋士の成績の向上や定跡の発展を目指すのであれば、既存定跡縛りからの局面解析というほうが、効率はよいような気もします。ただ、異能感覚ゆえに対人戦において好成績を治める・・というケースもあり(その代表が糸谷さんや千田さんだったわけですが)、言語化できないまでも、広さや囲いとはいえない状態での安全度を体得できるのであれば、それはそれで滅茶苦茶面白いので頑張って欲しいです。


AlphaGoと戦ったイ・セドル九段は、対人戦においてなぜか分からないけど勝ってしまう、みたいな記述をみた記憶があるのですが、囲碁のほうがより感覚的なものが多そうなので、将棋におけるその領域というのは確かにコンピュータ将棋が非定跡形で示すような異形の将棋にあるのかもしれない・・・と考えることでイ・セドル九段のスタイルがどういう感じなのかなんとなく理解できたつもりになっています。


将棋の場合、その先にある局面というのは、激しい斬り合いか、延々と続く泥沼の二極化した状態のような気もしていて、その両方に対応できる(どちらの展開でも高い勝率を残せる)人間が果たしているのだろうかという気もしなくはないですが・・・。


以上、朝のポエムでした。
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