角交換穴熊は素人には指しこなせない 第35期棋王戦五番勝負第2局(2010/02/10)久保利明棋王 対 佐藤康光九段

第35期棋王戦五番勝負第2局(2月27日)
久保利明棋王 対 佐藤康光九段

王将戦かと勘違いしていたのだが、棋王戦だった。久保が後手でゴキゲンvs丸山ワクチン佐藤新手だったが亜種ワクチンの、穴熊模様。ここから少し話が逸れるが、個人的には将棋の神は穴熊を用いないように思う。角交換では尚更である。将棋の神がいたとすれば、阿部や青野のような将棋で、終盤に絶対転ばない、というものではないか。

私の周囲で棋力が伸びなかった人間の一つのパターンとして、振り飛車穴熊にハマるというのがある。勿論完全に否定するわけではないし、穴熊特有の筋を知っておくべきだとは思うが、頼りすぎるのは考えものだ。特に一番危ないのは、定跡を知らない穴熊派。穴熊派になるのであれば、定跡は完璧にマスターするべきだと思う。穴熊力戦派で小池重明のようになれればかっこよいのだが、大体が棋理にない手癖がついてしまう。

勝たないと死ぬ、という将棋ではない限り、なるべく相穴熊は指さずに筋良く銀冠などで迫るのが上達の近道だと思う。相穴熊は定跡を覚えれば指せるし、穴熊ならではの特有の筋については「とっておきの相穴熊 [マイコミ将棋BOOKS]」を読めば済むことだ。確りした棋力を身につけていれば、この本を理解することができるし、反対にいえばこの本を理解出来ないのであれば、穴熊は指さないほうが良い。筋が良くなるまでは穴熊禁止、これが私の主張である。私は穴熊退治が好きなので、例えば剣持先生の引退前の竜王戦でのアマ殺し(対林戦、対早咲戦)などは酒の肴にはうってつけである。

相当に話がそれたが、本局は佐藤が先手で穴熊に組もうとして久保がそれを機に開戦した。本当に熊るつもりではなかった(攻めさせるのが目的だった)と思うが、この香車上がりというのは本当に罪の重い手であり、佐藤さんぐらいの剛力でなければ、普通の人は絶対に真似をしてはいけない手だと思う。

そして77桂馬。98香車、78金と合わせてこれ以上に悪い形は無いというぐらいに悪い形だと思う。端が薄くて右が壁、というこの先手の陣形を長々と見せられると目眩をしそうだ。

これを書いているのは69手目の局面だが、ここでは後手が良いと思う。

理由としては、手番が後手。69の金の存在、陣形の差、駒得、というところか。ただし駒得とはいえ、儲けている香車は活躍の機会はなさそうで、33の桂馬がいつでも取られる形になっている。そして53のフンドシ、84の歩と83の地点を睨む先手の角ということで、それほどの差ではないと思うが。

上記の剣持先生のエピソードを含む面白いエッセイが「振り飛車党列伝」である。将棋が好きだが符号はあまり、、という人にはお勧め。剣持先生がなぜ加藤一二三先生の師匠となったか、など面白エピソード満載である。


【追記】
風呂上りに眺めてみると、終わったようだ。さらさらと並べてみたところ、やはり確りと98香車を咎められ、77桂馬を咎められた仕上がりとなっている。

陣形の悪さのせいもあるが、久保の寄せは居飛車のそれだった。かつて振り飛車党で活躍したプロは大山にしても藤井にしても居飛車感覚を持った将棋だった。久保の捌きは超一流だったが、かつては順位戦で上に行くほどに通用しなかったのだが、最近の佐藤との豪腕対決を競うような力の応酬を見ていると、かなり居飛車感覚の将棋になってきたように思う。

振り飛車の捌きと居飛車の力強い、一手違いで斬り込んでいく将棋の融合型。鈴木大介や、古くは森安など力の使いどころが違うタイプが振り飛車党には多いが、それではやはり天下を取りにくいのだと思う。

最近の佐藤の負け将棋に多い、無理の多い作戦のせいで豪腕を持ってしても持ちこたえられなかった、というものだったと思う。そういえば先々週だったかの週刊文春の先崎プロの連載において、佐藤九段の降級がネタになっていた。そして、その中で、河口俊彦プロが不調の原因について以下のような内容で述べていたと言う。

河口俊彦氏いわく、「矢倉などではなく、ゴキゲン中飛車のような軽い将棋を多用するようになったモデルチェンジが悪い」とのこと。なんとも対局日誌の晩節をみるようでニンマリしてしまうのは私だけではあるまい。

新・対局日誌〈第5集〉升田と革命児たち

将棋世界から対局日誌がなくなり、なんとなく寂しくなった気もするが、無くなって清々したような気がしなくもないのは、私が年を取ったからだろうか。…などという私の文体は多少河口俊彦氏の文章を意識しているところもある。いわゆる紋切り型の言葉が多く、日常で私の部下がこのような文章を記せば添削の赤で一杯になるような持って回った文章。棋力の無さを誤魔化すために敢えてややこしく書くという手法は氏に学んだものである。

と散々に貶してしまったが、氏の文章はやはり味わい深く、将棋が弱い人間でも、符号が混じっていても読むだけでなんとなく分かったような気がしてしまう。将棋世界を定期購読していて、一向に強くならない人間の特徴としては、文章だけ読んで、棋譜を並べない、変化を頭の中ですら並べない、というのがある。

何を隠そう私の事なのだが。最近はプロの将棋も自分の将棋も詰将棋も付録も、精読しないまでも読むようにしており、棋力の減退だけはなんとか食い止めている実感はある。

長々と書いたが、河口俊彦氏の佐藤康光プロの凋落の原因分析はあながち間違っていないと思う。ここ数年、久しぶりに眺めて思うことは、プロ将棋の定跡化の流れは再加速している。

拡散と深化を繰り返している将棋界だが、つい1・2年前に、モダン将棋がわかりにくくなっており、戦法が拡散していて、全部をフォローするのが難しく云々という話を羽生が語っていたことを記憶している人も多いと思うが、また最近の将棋については、集約・深化の方向にあると思う。

佐藤が全タイトル戦に登場した頃と現在とでは僅かな年数しか経っておらず、若手を除いては大きな棋力の変動はないと思う。それにも関わらず、佐藤プロがここまで苦戦しているのは、力戦調だった将棋が専門家達によって深化し、ちょっとした思いつきの工夫では勝てない流れになっているのだろう。

郷田と佐藤の不調というのはその辺を表している。郷田も一頃は連続名人挑戦まであったが今期は生涯初めての負け越しが確定している。郷田の将棋の調子と棋界における定跡化の進捗というのは、過去振り返ってみるとリンクしているように思う。

郷田が不調な時は、ある程度戦型が落ち着いて定跡が深化しているフェイズであり、その時々に時流に乗った棋士が活躍する。以前であれば、丸山・藤井の両名による研究発表会としてのタイトル戦という時代があったし、藤井システム駆逐後は「角道塞いだ振り飛車には最近負けた記憶がない」の名言で有名なジメイ村山などの居飛車研究将棋、最近だと久保・戸辺・菅井の石田流-ゴキゲン2本柱だろうし、居飛車であれば一手損、矢倉における渡辺竜王だろうか。

森内も研究家のはずだが、いまいち奮わないのは、(特に渡辺に竜王戦を負けてからはひどい成績だ)、将棋の作りと戦型の性質がマッチしていないのだろう。郷田・佐藤についても同様で、確かに強いのだが、強い故に腰の入った攻め、のようなものが出来るのだが、上記の河口俊彦老師がいうところの軽い将棋との組み合わせが良くないのかもしれない。

最近の将棋をみていて思うのはがっちり囲ってドカーンというものでも、早々に超急戦というのもとちょっと違う将棋が多いと言うことである。腰の入ってないパンチからはじまり、じりじりとそういう手ばかりが続く印象といえば良いだろうか。

ものすごい繊細な気を使う手順をくぐり抜けてみると、豪腕タイプの棋士にとっては、にっちもさっちも行かない局面、というような将棋。今期の順位戦でいえば、戸辺vs宮田のような将棋。佐藤vs木村のような将棋。あれらが私の中で最近の現代将棋である。

奔放な、意欲的な指し回しで力強く局面をリードするというよりは、苦労して苦労して茫洋とした局面に味付けの調味料をたらし、全然味が変わらない(その時点では形勢はわからない)が、そこから10数手進んだ局面は全てどちらかに利する展開しかなかった、というような将棋。

佐藤康光プロの98香車や77桂馬は強いからこそ指せる手で、それを指しても勝つのが佐藤の強さなのだが、順番に交互に一手ずつ指すという将棋の性質上、双方が最善を尽くすと多少なりとも無理をした方が、局面が進むにつれて悪くなる(悪さが増大する)というのは、なんとなく正しいようにも思う。

少なくとも私は98香車・78金・77桂馬で勝てる気は全くしない。将棋の神様同士が指せばこの先手の形で先手が勝つとは到底思えない。…などと長々と書いたが、単に羽生世代が年齢とともに衰えているだけなのかもしれない。

将棋についてあまり語るところのなかったので、折角の中継があった日だったが、長々と与太話を書いてしまいました。ここ連日のお目汚し、お詫びいたします…。

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Tag : 加藤一二三 佐藤康光